ビジネス現場におけるネット画像使用の法的リスク、望ましい方法

お久しぶりです。
ペンデュラム20thのアートブックが俺のタイムラインで大層話題を集めています。
というのも、巻末の座談会パートに掲載された、ペンデュラム20thバージョンの企画書に、個人の作成した立体物の写真(個人の~は立体物にも写真にも掛かります)が、まんま使用されていたため、公式が無断転載を行っている図式になっていたためです。あまり穏やかではない、かつ褒められたものではない理由なのがなんとも言えない。

しかし、公式が無断転載、この言葉が若干インパクトが強すぎるのです。大げさと言うつもりはないですが、そこから公式のデジモンの展開のやる気のなさ、スタッフへのバッシングの論拠と、所謂”石を投げる理由”として用いられるのには、俺は違和感があります。
違和感の理由を突き詰めると、以前クロンデジゾイドの件でも話したように、「どんな会社でもヒューマンエラーは起こり得る」が頭に有る故であります。もちろんミスがない、誰にも迷惑をかけないのが一番ですが、担当部署、チームなど、実際の仕事を担う人々の環境次第では、ミスをしないよう徹底するのには無理があることも想像に難くないため、これを論拠に”やる気”にまで言及して悲観しバッシングをするのは、やっぱり違うと思うのです。
著作権法に関する遵法意識がキャラクタービジネスをする企業が弱いならば即ちやる気がない、というのならば、ケースこそ違うものの、ハイスコアガールの製作に関わった人たちがやる気がないってなるわけですよ。断じて違うでしょうよ。(なお、ハイスコアガールの一件は訴訟取り下げのため裁判所は侵害の有無を判断していないことに注意)

それに、この手のトラブルは実は中小規模の会社や、地方行政の資料では、実は珍しくない問題に俺は思えてならないため、ダメなものはダメであるという大前提の元、もう何言われても仕方のないサンドバッグに甘んじるべきと判断するのは、やはり早計に思えるのです。

なんでそんなジャッジングになるのか、仮定をした上で、何がアウトで、どうすればセーフだったか、一つ一つ整理していきます。

一、企画書制作段階での無断使用

ぶっちゃけ、なんで登場していないシャウトモンX4の画像が使わているかってのは本旨ではありません。一応言及しておくと、合体、進化、というワードからデジクロスを連想させて画像を引っ張ってきたってのは想像に難くない。
で、このネットから画像を引っ張るという行為、多くの場合はこの手の”会社の”資料に使うのはまずご法度です。何故かといえば、著作権法の複製権の権利制限(=無許可で使ってもオッケーなライン)は、私的使用のための複製や、教育目的の使用、分離が難しい映り込みなどに限定されているためです。
ですが、この遵法意識は残念ながら広く認知はされておりません。
お勤め人が資料を作る際、内部で作る資料にコンプラ意識が薄くなる、社会に出られている方ならギクリとする方も多いはず。
例えば、適切な使われ方をしない限り、会社内で新聞の記事のコピーを回すことだって本来アウトなんですよ。著作権法っていうのはそういう次元の話で厳しいわけですが、いやそれ守ってるん?ってレベルの話はよくあるわけで。
実際、自治体の資料でネット由来の画像を使って著作権違反になっているケースが散見されているとの報道もあり、この問題は実は根が深い社会の認識不足の、氷山の一角でもあるのです。
企業だからしっかりしているだろうって印象ですが、企業にお勤めだろうと構成要素の最小単位は所詮同じ人間なんですよ。
よく有る話だからと擁護するつもりはないですが、少なくとも無断転載だから会社としてダメ、っていう理屈でいうと、もちろんダメはダメだが、これは現在の著作権にまつわる社会風土としてダメなので、まああり得るだろうなあというのが正直なところ。
もちろん、キャラクタービジネスをやる会社である以上、この手のミスはイメージの失墜に繋がりますが、会社としての対応が徹底されてないケースってのはまああり得るのかなあと。

本来なら、権利上許諾が必要な資料をどうしても使う場合は、出典を明記の上、引用した箇所が引用とはっきりわかる(主文と引用箇所が明確に判断できる)よう記述すれば、引用規定で法的な問題なく利用できます。たとえ会社で使う資料でも。じゃねえとレポートや論文なんて書けねえんだよ。

引用規定を使わなかったのは、前述の通り遵法意識が社内資料だとなあなあになっていた可能性があると思いますが、もしかしたら画像の出典元をよく確認せず、バンダイが自由に使用できる(権利を全て自社の管轄の)コンテンツと勘違いをしていた可能性もあります。いや、でもそれだったら普通に自社の素材ライブラリとかから引っ張りゃいいのですが、そこは素材ライブラリがしっかり作られていないか、やはり遵法意識の問題か。

二、アートブック掲載時の校閲

この問題がややこしいのは、企画書に書かれたアメコミキャラの製品が黒のシルエットにされていることで、一応は世に出す際のチェックが入っていたことを明示していることにあります。
つまり、一の段階での権利侵害を修正できるチャンス(というか世に出す上では先述のような「内々の資料だからなあなあだった」が言い訳にできない)だったにも関わらず、機会を逃してしまいます。
アメコミキャラをシルエットに修正したのが編集側からの提案だった可能性と、資料提供側だった可能性、どちらもありますが、少なくとも、そのどちらもX4の画像についてはスルーしてしまった。
とは言え編集側にX4の画像に気づけ、というのもやや酷な話にも思えます(デジモンの版権元から来た資料でデジモンの画像が載っていて、それが権利侵害の可能性を考えるのはやや難しい)。
かと言って資料を提供した側が、資料製作者と同一でない場合、どこから画像引っ張ってきたかなんてわからないわけですから、ここで気づくのもまた難しい。
で、資料作成者が仮に資料を渡したとして、先に述べたとおり遵法意識は恐らく甘い。

これどっかに詳しい人いないと、そのまま通る可能性、高くないっすか。

チャンスは間違いなくあったはずですが、そこにこの段階で気づくのは、掲載の際の資料のやり取りを想像すると、結構厳しいものがあったのではないか、そんな風に思えます。

三、今後の対応

何故か俺が「仕方なかったんだから許してやれよ」みたいな言い訳をする空気を自分で作ってしまいましたが、言いたいことはそういうことではないのです。
ミスをしてしまっても不思議ではないのかなあと言う想像を共有することで、無断転載しているんだからすなわち大変けしからん、デジモン公式はもうダメだ、やる気がねえ、という思考回路に一回ブレーキを掛けることは目的ですが、真に求めるは、適切に問題点を指摘し、そして公式にまた適切に対応してもらうことです。
具体的な対応は、画像を使用された当事者とアートブック製作側とで話されることですが、どうなるか注目です。
許諾を取るのか、書籍で言う正誤表作って配布し、出典元記述の引用にするのか、色々考えられますが、それは現時点であまり意味のある考察ではないと思うので、現時点では割愛します。

四、今後の対策として

これまで、どういった流れで今回のアートブックにおける、所謂無断転載状態(複製権の侵害)が起こってしまったのか、仮定を基にまとめてきました。
では、どうすればこの問題の発生を食い止められたのでしょうか。

第一に、社内資料作成の際のルール作りです。
企画やプレゼントいうのは、どうしても魅力が伝わり易く見栄えよく、となってしまうので、どうしても画像素材を多く使いがちです。
しかし、その素材の出どころというのは、しっかり管理しなければいけません。
とするならば、コンテンツ制作会社ならば自社のコンテンツの素材を整理して適切に使えるようにすることが望まれるよう思います。
また、マイクロソフトオフィスでクリップアートがなくなった今、商用利用可な素材を探すのは地味に一苦労です。
資料作成者向けに、商用利用等でも利用できる素材サイト集なんかをまとめて、同時にネットの画像を利用する際は社内で確認を取るような体制にし、社内周知することが、安全な橋を渡ることになるのかなと思います。
どうしても素材サイトや自社素材では限界がある場合は、引用等著作権法で認められた使い方をするようにする。
ここまでが徹底できれば、資料作成段階での著作権法違反を失くすことができるよう思います。

第二に、社内資料を公開する歳に、使われている画像や文章等、権利上問題がないか精査する仕組みが必要です。
資料作成者がどこから画像を引っ張ってきたのか確認し、問題がなければパス、見つかれば修正。
すげえ面倒そうな作業に見えますが、一が徹底されていれば、資料作成者が脚注やコメント機能を使って、各素材がどこ由来か記述するだけですし、チェックする側は全ての素材が問題がないか、裏取をするだけです。作成段階で整理されていれば、チェックはさほど煩雑ではないのでは、と思います。
世に出す以上これくらいのことをしてもバチは当たるまい、と思うのは俺の頭が固い故でしょうか。でも、法的リスクを最小限にするには、これくらいのことしてもいいのではないかなあと。


終わりに、この問題をどう考えるか
以上長々と書いてきましたが、まとめるとシンプルです。やっちゃいけないミスではあったが、これを理由にコンテンツ展開や製作現場に絶望し、製品への不満として石を投げる材料にするのは違和感が有る。問題は問題として適切に指摘をすればいい。
デジモン公式の今後に絶望するのではなく、製作に携わった人々の著作権法の意識、そして間違いをした際の対応をどうするか、注目するべきはそこなんです。
この記事が少しでも過度な批判へのブレーキになるよう祈っております。