金と時間とコンテンツ

最近、無茶な出費もなく、休日もしたいことに追われるというよりも、暇だしたまってるもの消化するかって日が続いています。
ジントリックスが終了したり、リデジと無印ゲーの間に俺がやるデジモンのゲームがDMOくらいだったりと、あれも欲しいこれも欲しいとか、あれもしたいこれもしたいとか、そんなブルーハーツ状態でない現状に、ある種余裕を感じています。

もちろん、デジモンのグッズや作品が世に出て、それに燃え上がるようなテンションで夢中になるのも非常に楽しいものです。
ただ、それとは違う、もっとゆったりとした感じでコンテンツを楽しんでいる状態。最近気づいたんですけど、俺この状態嫌いじゃないんです。
元々飽き性とは対極にいる人間ですし、作品の栄華はそこまで気にしてません。
故に、盛り上がった後に冷めるってのはそんなないんですよね。

さて、そんな俺が何をいいたいかと言うと。

「現代はコンテンツの供給過多である」

何がどう繋がるかといいますと、リラックス状態になってわかる、他のコンテンツの流通量と速度です。
一つの事に夢中になると他人から勧められたものや、世間で評価されているものは二の次ですが、余裕のある時は好奇のままに調べたりする訳ですが。

コンテンツの多いこと多いこと。
そしてコンテンツの流れる速さのはやき事。

例として、アニメーション作品。
ついでにもっと突っ込めば深夜アニメ。更に言うなら原作ライトノベル
別な例として携帯ゲーム。更に言うならガチャの出るゲーム全般。

人間の時間や金というものは限られているものです。
そんな中で、一体どれだけの人がどれだけコンテンツに資金を使い時間をかけて楽しむのか、俺の常識の中では、とてもじゃないですが、放送しているアニメの半分も見続けられる自信がない。携帯ゲームも何種類か股にかけて遊ぶ人の生活スタイルがもはや想像できない。
作品数も多いし、それに伴ってサイクルも短くなり、結果的にコンテンツの流通する速度が尋常じゃない。

昔で言うところの全員集合とひょうきん族みたいなもので、でかい長寿の小数のコンテンツに人が集中するって言う時代とは少々変わっていて、逆に言えば、自分の好みで作品を選ぶことができ、その選択肢が圧倒的に多い。

だからこそ、今でも人の集中するコンテンツというのはあるものの、昔ほど「国民的」といわれてもあまりピンと来ない。大人気、話題沸騰も然り。名前を知っているって人は多いし、ミーハーな人は見に行くけど、そんなに自分の周りで超絶人気ってものは本当に効かない気がします。知名度と人気がニアリーイコールでなくなってるんじゃないかって思えるわけで。
佐々木俊尚氏の言葉を借りれば、ミドルメディアの台頭ってところでしょうか。

んまあそんなことはおいておいて、俺が一番言いたいのは、それだけコンテンツ供給過多の時代、もっとライト層を生かす、もっと言えば産業サイクルの中で資金を提供する側にさせるように業界はシフトした方がいい。

なんて上から目線のことが言いたいんじゃなくて。

他人に強く勧めるのがナンセンスってこと。選択肢が多すぎて自分の興味あるものを追うので精一杯なのに、他人にせっかちに勧められても知るかって思う。

って他人の善意を無碍にすることを言いたいんじゃなくて。

無限と思えるコンテンツに対して、時間と金は有限であること。
ポピュラーカルチャーでさえもう分けわかんない状況なんだから、それを意識した生活をしていった方が、きっと人生楽しくなるんじゃないかって思うこと。それが最終的に言いたかったことです。

*決してDMOのアプデが長引いている間に暇で適当に書き始めたから支離滅裂になっているわけではありません。