押し付け優先論

タイトルは、以下のことを書こうと思ったときにどんなタイトルにしようかなって考えたとき、ふと頭をよぎった言葉。
ちなみに既存の論理と名前が被っていないか調べたけど、大丈夫っぽいのでそのまま使用。つまり俺の造語です。押し付け憲法論ってのはあったみたいだけどね。


「誰も興味持っていないようなアイドルのニュースよりも報道することがあるだろ!」
「こんな商品作るんだったら、もっと実用的なもの作れよ!」
押し付け優先論ってのは、要はこういうこと。

インターネットによって発言を発信する場を得た俺たちですが、その発言内容って言うのは、実は場を得る前とあまり変わっていないのか、お前の中の結論を押し付けるな、と言いたくなる事が非常に多いです。
いや、ぶっちゃけ個人個人が要望を発信するのは構わないけれど、あたかも全体が自分と同調しているのが当然のように「~~より~~の方が大事に決まっています!プンプン!」だとかいう言い回しが多いって言った方が正しいんでしょうかね。
自身の中で優先順位を決めるのはいいけど、それを外部に出してさらにそれがあたかも世間一般の意見のように押し付けてくる。だから押し付け優先論。

自分の中の結論を、要望と言う形に表すのと、マジョリティを装って他人に押し付けるのでは、出し方や心持が全く違ってくる。正直、現実にいてもそれなりにうっとおしい類だと俺は思う。
インターネットなんてものは、自分と分かり合えない人間がごまんといるわけで、そもそもマジョリティを装うと多くの人に反感を抱かれるし、押し付けるとそれに拍車をかけるようなもんじゃないかと感じるわけさ。
口調も断定口調や感情的な言葉だと、もう完璧ね。

主に、こういった押し付け優先論を見かけるのは

1、作品や製品やサービス業の中身への不満
2、報道機関での情報の取捨選択や主張への不満
3、法案などの政局への不満

が多いと感じる。いやごめん、正直言うとツイッターと連動形式のニュース見ていらっとしたから書いているだけだから割りと適当なことかいてるけどさ。

ともかく、

1について:ニーズの把握やコンテンツの全体像、ターゲット像を判断するなんて、たかだか一消費者が個人ではなくマジョリティとして発言できるか?作品に至っては、個人の意見として止めるのがマナーではないか?
2について:そもそもテレビを見る人間が公正で充実した報道内容を強く期待するべきなのか?ニュースポータルサイトで流し見しつつ気になる記事だけピックアップした方が、よっぽど個人個人のニーズに合うのではないか?
3について:必要な法なんて挙げれば腐るほどあるし、情勢によって変わるものなのに、少ない情報だけでめったやたらにバッシングするのは正当な判断なのか?

ってことをちょっと考えて欲しいって感じる。

ともかく、
・主張の押し付け
・マジョリティの装い
・断定、感情的な文脈
この3つがそろった言い回しはホントなんかこう、みていていらっとするし残念な気持ちになる。

そこまでかっかするんならよ、不満あるところにメールの一つや二つでも送ってやれよ。
俺はデジサーのサービス内容変更の際度々公式に意見していたし、ジントリでもUIについての不満なども送っていたし、先日の音楽業界云々にしろ、サービス提供側に意見書いて返事もらったりしてるけど、対して、ぶつくさぶつくさブログやSNSで呟いても、周りから「そうだね、いうとおりだよ!(^o^)」とか「全く持って同意見です!(>▽<)」とかいう感じの、自分と似た人間の同意が得られるのが関の山だと思うよ。求めたいのがそれだって言うんだったら、主張の仕方に気をつけた方がツールの使い方として適切だろーよ。
マジョリティー装って自分の主張を押し付けるよりさ、個人の、一ユーザー、消費者として意見を言う方が、真っ当な行いなんじゃないの?
少なくとも、その方が声は届きやすいと思う。

こう感じるのは割りと最近なんで、俺の過去の発言をさかのぼれば間違いなくブーメランになるなぁ。