俺的ネット史

今から書くことは、俺がインターネット上に生れ落ちてから今まで、どんな場所でどんなことをしてきたかを簡潔にかつ垂れ流しで書いたものである。
ぶっちゃけネット上俺史の方が何かあってる気がする。でも面倒だからこれでいいや。

2003年の5月くらい(だと思う)に、リア友に誘われてデジモンウェブへ足を運ぶ。
ネットマナーも何も知らないし、ついでにいうとなかなかに機会とかに弱い性質なので、初期はいろいろな人に迷惑をかけたと思う。8年前とか時間が過ぎるのは本当に早い。
時期的にはフロンティア終了後で、週末に人が集まって会話するって言うのが、当時のデジモンウェブのお話掲示板の風習だった。もっとも、もっと前の時代を知っている人いわく、昔は毎日のように人であふれていたらしい。
また、お話掲示板には「点灯」と「消灯」という慣わしがあって、消灯は最後に残った人が行い、点灯はその後来た人が行う。要は寝るから電気消す、起きるから電気つけるっていうのを掲示板でやるような感じで、今思えば携帯機を踏襲しているんだと考えることができる。
そして数ヶ月経つと、デジモンウェブにきている人の個人サイトなんかに足を運ぶことが多くなる。
当時はまだブログサービスは未熟で、個人サイトがまだまだ勢いがある時代だった。
エルさんのところとかGOOODMANさんのところとかほっし~さんのところとか色々顔を出しつつ、小学生らしい(当然だけどな)テンション駄々漏れで書き込みを行っていたと思う。というか固有名詞あげて通じるのかこれ。

そしてそんなネットライフを送りつつ数ヶ月。デジモンネットバトル8月頃に始動
もちろんプレイする俺。しかしこのゲーム、デジモンのグラフィックは完全にデジモンバトルクロニクルからの引用である。もっともそのことを知ったのは随分後だけど。
基本的なシステムは、バトルして飯を食わせ、パラメータや勝率などの条件を満たし、進化する、というもの。
また、ネットゲームらしくチャットルームという場所が設けられていて、そこに集まって雑談をすることができ、かつ対戦を申し込んでバトルをすることもできた。
さて、育成について詳しく書く。成長段階は成長期、成熟期、感全体、究極体。
が、初期は究極体がいなく、かつ完全体がリリモンとエンジェウーモンしかいなかった。よって上記のチャットルームがかなりカオスなことになっていた。
基本的にデジモンは「HP」「つよさ」「すばやさ」「スタミナ」「かしこさ」の戦闘で重要なパラメータと、生きる上で重要な「満腹度」といったパラメータがある。
与える食料には、単純に満腹度を上げるだけではなく、上記の戦闘に使うパラメータをあげるアイテムも多い。
また、デジモンの満腹度は100%を超えることができない、一定時間で減っていく、というシステムで、故に無尽蔵にデジモンにアイテムをあげることはできなかった。
また、バトルシステムは、スピードとパワーの2つのバーがあり、これを上昇させることで攻撃力や倍撃コンボが決定するというシステムだった。多分実際見ないとなかなか伝わらない。多分一番分かりやすい例がデジモンアクセルのバトルやトレーニングのときのあれが二つ並行してある感じ。
今ふと冷静に考えて、「なんでゲーム紹介しているんだ俺」と思えるのでネットバトルについてはここまで。

そんな感じで、ネットバトルで名前を見た人も多い。しかしまぁ特にこれといって何もなく平和にネットライフを送っていた俺であった。
そして、2005年秋、デジモンネットバトル終了。
移行してしばらく、ゲーム性の低下(主にバトル)でしばらく手をつけない俺であったが、だからといって特にすることがなかったため、何だかんだ適当にプレイ。最初に俺をネットに誘ったリアともがデジサーの攻略ページを作っていたのも懐かしいことである。
しかし、デジモンサークルに入ってゲーム性は低下したものの、ソーシャルゲーム性を強く帯びるようになっていた。よって、ここら辺でまた俺(だけじゃなくいろんな人)のネット事情が少しずつ変わることとなる。
また、それとは別に、この時期くらいに、漠然と自分のサイトを持ちたいと思っていたのも覚えている。確かきっかけは、兄が「いらないからやる」といってくれた情報の教科書。それを使ってディープロジェクトのスピリットの番号をテーブルタグを使ってまとめたものを私用に作ったのが第一歩だったと思う。
そしてタイミングの前後は忘れたけど、多分2005年の冬か、2006年2月くらい?そんくらいに、デジモンセイバーズの話がちらほら。最初はロゴだけしか確認できなかったし、公式サイトの色彩が背景黒、レイアウトはメタリックな感じになっていた気がするので、妙にわくわくした。しかしこういうところでD.V.R.の凄さが分かるね。

時は飛んでデジモンセイバーズ放送。そのちょっと前に俺はサイトを公開した気がする。
そしてデジモンウェブの掲示板は人が増えた。
そしてここら辺からの記憶がすっごい雑。なんつーか、色々あったため一つ一つの記憶が前後関係思い出せない、みたいな感じ。
とりあえずデジサーでいろんな人に出会い、ローネさんの作ったコミュニティに入ったり。懐かしいなぁ。
ただ、入っておいていうのはおかしいけれど、俺は当時からどっかのコミュニティに入るのはあまり好きじゃなかった。なんでかっていうと、それを前面に押し出すのは、せっかくネットに来ているのに、カテゴライズされて見られ、色々な人と話す機会を失うから。それゆえ、今で言うと「広報委員会のコウジさん」なんていわれたらすっごくバツの悪そうな顔をする。っていうことをこの前殆ど初対面に近い人に愚痴ったっていう。反省してます。
話が大分ずれたので修正。この頃の俺は、メッセンジャーなんかは使っていたかもしれない。
それとようつべが有名になったのは、2005年の暮れくらいからかな?すっごいものが出たと思った。

それからセイバーズが終わっても特に何もなく、俺はサイトを構えていたし、デジサーにもいてミニサークルで色々な人と雑談をしたり、はたまたローネさんのところに顔を出して話をしたりと、とても健全に(時間が健康的じゃなかったけど)ネットを使っていた。まさに中学生。そりゃぁデジタルチルドレンとかいう言葉ができるわけだよ。
がしかし、デジサーは書き込みに時間制限、ローネさんはリアルが忙しくてサイト縮小。
そして行き着く先は、ネット上ではなく、ネットツールである。
スカイプメッセンジャー、このツールは便利であるが、閉鎖的なので、当初俺がデジウェブに来た頃の「デジモンについて色々な人と話してみたい」という方向とは逆だと思う。
とはいえ楽しいのでそんなことはどうでもいい。別にデジサーとかに顔出さなかったりしてないしな!
自分のサイトでしりとりとか絵チャとか開いていたのもこの頃だったんじゃないかなーって思う。そんな感じが2008年終わりくらいまで続く。が、そっからなかなかに色々だれてきた感が感じられる。
サイトはお絵かき掲示板やチャットが消えるのは当たり前!(現在は管理のメリットがないと判断して撤去)
特に新しく交流を広げることはなく、例えあっても既存の綱を渡る感じである。8月1日に行くことがあっても、天空聖夜さんと零城さんと行くのがいつもだったあたりが、特に交流に代わりがないことを裏付けていると思う。

そんなこんなで2009年秋。俺はブログをヤフーにお引越し。
たしか、いつかサンバで俺を惨敗させたアルデバランさんがこっちでブログを構えていることに目をつけてだったと思う。リベンジの機会を狙ってブログを立てたわけだ!まだ叶ってないけどな!
で、そんなことやってたら、いつの間にかいろんな人と交流が広まっていた気がする。
ぶっちゃけこっからはさらに記憶がめまぐるしいし、見ている人なら大体のこと分かりそうなもんだから割愛。

そして今に至る。
ちょっとしたことだけ書こうと思ったのに、1時間くらい経ってる。あると思います。