全身全霊

本日開催された強歩大会。
28kmの道のり、そこにはこの学校の立地特有の傾斜の多いコースが多々あり、並みの道ではありません。
現役時代の俺ならば、威勢強くやってやろう、といったかもしれません。
部活を引退して既に4ヶ月。その間特に長距離らしい長距離も走っていなく、つまりは丸々それがブランクでした。
走れる自信が正直に言えばありませんでした。
だらだらと6時間以上の時間をかけて歩こう。とそう思っていました。
なにより、昨年、一昨年ともに、俺は駅伝の選手だったために強歩大会には参加できなかったことによる、初めての試みという不安もあって、今一積極的に慣れなかったのかもしれません。
クラスの奴に「お前走るの?」
と訊かれても、「走れる体力なんてもう無い」
と答えていました。自分自身そうだと思っているんですから。
ですが、昨日。部室によって後輩たちと話をしていたら、走りたい、という欲求が少しずつ出てきました。
家に帰ってから走るか走らないか、ずっと悩んでいました。
そもそも走りきれるのか。例え走れたとしても、お粗末なペースになってしまうのではないか。
とこういう不安が邪魔をして、走る、と直ぐに決めることはできませんでした。
そして翌朝。
6時に起床した俺は、例え走りきれなくてもいい、自分の全力を尽くして挑めば、後悔もない、躊躇して走らないで後で後悔するよりも、よっぽど気持ちがいい筈だ、と考えました。
久々に部活で使うシャツ、ハーフパンツ、ランニングパンツ、そして商売道具のシューズを用意して、学校へと向かいます。
学校についてからは、アップと追加ジョグをして、体を解し、体調を整えました。
クラスでは嘘ついたのかよ、とか結局走るんじゃないかよ、と色々言われましたが、決めた事ですからそんなことはどうでもいいと感じました。
そして開会式を経て、スタート位置へと向かうと、陸上部の仲間や後輩たちがこれまたたくさんいました。正直、このグループと一緒に並走出来る自信は、その時になってもありませんでした。

スタートの号砲が鳴り響くと、一斉に動く走者達。
人波にも飲まれないように即刻サイド側へと移動し、人ごみを抜けると、頭集団が見えました。
スタートだけでも付いていってみよう、と思い、若干ペースを上げ、先頭集団へと追いつきます。
その後上り坂、下り坂を経て直線コースに出ました。
アップをしたためなのか、不思議と俺の体は予想以上に動き、5km以上走っただろうな思える時間になっても、致命的にきつくなる、ということはなく、その直線はずっとついていけました。
しかし、急な傾斜のついた道を何度も走っているうちに、俺は脚に異変を感じ始めました。
脹脛からアキレス腱に掛けてが、段々と動きが鈍くなってきたのです。
そして肩も張り始め、腕振りを大きくするのがつらくなってきました。
それでも10000m、つまり10kmまでは先頭集団についていったのですが、そこ等辺からは傾斜が最早山で、段々と離されていきました。ですがまだ見える位置にあり、追いつく機会を窺っていました。
しかし、そこからは延々と坂道が続き、距離は縮まるどころか段々と大きくなっていきます。
若干自分のペースが落ちているのを感じましたが、この時はまだ地面をしっかり蹴れていたのを覚えています。
15km地点でのタイムは55分くらい。時速14kmよりちょっと遅いくらいを目指していた俺には充分な速さでした。
しかし、その15km地点を越えた後のことです。1kmはあるんじゃないかと思える坂道があり、俺はここを上る際、かなりのペースダウンをしてしまい、脹脛にかなり負荷がかかっているのを感じました。
後ろにいた部活の後輩などにも抜かれ、ちょっとは頑張ってみようとペースを上げてみるものの、上がるに上がらず負荷が大きくなるだけでした。
上り切った時点で、俺の脚は既にぼろぼろでした。脹脛からアキレス腱に掛けてがうまく動かず、ペースは大分落ちていて、俗に言うジョギングくらいのペースしかなかったと思います。クレアチンリン酸が足りないのかな、とか思いながら走っていました。
しかし、そんな状況で次に出てくるのは、またしても山。山の中に砂利道を走らなければいけないのです。正直俺は上っているときにかなり限界が近い事を感じていました。
この足では正直つらい、そう思い、上っている途中に一度、アキレス腱を伸ばし、何とか上り切ることができました。
そこで待っていたのは砂利の下り道でした。
靴越しに足の皮が石によって痛めつけられていき、それでも何とかゆっくりと降りることが出来たのですが。アスファルトを走っていると、足の裏に水ぶくれが出来ているのが分かって来ました。
着地するたびに若干の痛みを伴っていきます。
それを少しでもかばうようにして走っていたのがいけなかったのかもしれません。
脹脛がつりました。
そりゃそうです。引退してから一度も走っていないような人間がいきなりこんなに走っても、付けが回ってくるのなんて自明の理。
少し流すようにしながら歩き、脹脛を伸ばします。
そしてまた走り出しますが、一度つったところというのは、なかなかいう事を聞いてくれません。
それでも、つりかけて伸ばしてはまた走ることを繰り返していました。
止まっている俺を抜いていく人たちが大丈夫ですか?と訊いてきます。
補助員の人にも先生を呼びましょうか?と訊かれます。
しかし俺の心境は、ここで諦めるなんて冗談じゃない、もし大丈夫じゃなくても最後までやってやる、というものでした。
その思いと裏腹、俺の脚には自分の想像以上のダメージが蓄積していて、つる箇所が増えて行きました。
ひざ上に、右側と左側に腿の筋肉があります。その両方だ、両足ともつりました。
ここは正直一番つりたくない筋肉で、伸ばしても再発がし易く、それがどちらも来ると、正直苦痛以外の何者でもありません。
文化祭で一緒に仕事をした後輩に激励され飲み物をもらいコアラのマーチを一個貰って頑張って走ろうにも、やはり走れたものではありません。そこ等辺からはずっと歩いていたのですが、正直歩くだけでもつらく、立っているのが精一杯なくらいの足でした。
それでもひたすら歩きました。
例え走れなくても。自分の全力を出し切って終わりたかったから。
終盤の最後の下りは、最早歩きでさえ衝撃が足につらくて何度も止まりたくなりました。
そして最後に上りの階段。
青色吐息になりながら、一段飛ばしで手すりを掴みながら上りきり、なんとかゴール。
順位は目標としていたものよりも10下で、タイムも目標よりも20分以上遅く、満足行く結果、とは言えませんでした。
ガクガクと震える足と体を動かし、荷物のある部室へと向かいました。

そこから少し意識が無く、後輩に起こされるまで、部室にしゃがみこんで寝てしまっていたようです。
自分でもびっくりする位力を絞りきったようです。
正直もう動きたくない、動けないレベルまで血糖値が落ちていて、長時間寒い中を歩いたため、体が大分冷えていました。

だけど思ったんです。こんなになるまでやり切れて、本当の意味で自分の力を出し切れて。
最初で最後でしたが、こんなにいい経験が出来るとは。
そしてそれを導いてくれたのは、序盤に一緒にいた後輩や仲間達がいたから。
彼らには本当に感謝しています。

着替えてからしばらく部室に溜まり込んでいましたが、部室はいつものように楽しくて、とても居心地のいい空間でした。
陸上部よ永遠に。


以上本日の日記。参加した皆さんお疲れ様でした。
そしてお世話になった補助員の方々、一緒に走ってくれた陸上部のかたがた、本当にありがとうございました。