今のネットは一体なんだろう

最近よく思うことですが、インターネットはパソコンとともに多くの人に普及し、今や小学生がネットの世界に入ることも決して珍しいことではないでしょう。
俺だって小学生の頃からネットをしている口ですしね。7年前からそうなわけですから、今じゃもっと当たり前のはずです。

さて、そんな昨今ですが。
俺の例を出すならば、俺がネットを始めた当初、とても色々な人に迷惑かけました。
何せネットに入ったはいいものの、ここがどういう場所か、どういったことが許される場所か、いまいちわからない部分が多かったからです。今でも迷惑をかけていることをみると、7年たっても学びきれないほどネットマナーって言うのは難しいものだと感じています。
そして、俺のような経験をする人が、たくさんいるであろうし、これからはもっと増えると思います。
しかし、ネットを始めた頃の俺のように、「ネット上のマナー」のノウハウがない人がネットの世界に、より多くなだれ込んできたら、秩序としてはどうなるでしょうか。

ネットには昔から自治をする人というのがいますが、そういう人を「自治厨」という人も見かけます。
仕切りたがるのも、背伸びしたい子供のように見えますし、それを嘲るのもまた子供のように見えます。
自分がそういう世界を知らなかっただけなのか、はたまたそういうところが表になってきたのかはわかりませんが、そういった衝突が、一般の人たちの間で起こるのは少々問題だと思うんですよね。
先ほどの書き込みは、某巨大匿名掲示板で見かけたものですが、これを匿名であるといっても、ハンドルネームで個人を認識できる世界ならば、話は大きく違います。

少し前に、ネット上でのトラブルの話がにぎわいましたね。今はマスコミさんはもっと他のことに夢中みたいですが、そういった事件が報道されていないからといって、決して減ったわけではないはずです。
その考えでいけば、ネット上でのモラルに関しての対策は急ぐべきだと思います。

フィルタリングで何でも縛ろうとする人がいます。たしかに小学生よりもある程度社会の仕組みやマナーについて知識が増えた高校生や大学生、はたまた社会人がネットを始めたほうが、トラブルも少ないでしょうが、果たして、「ネット」という世界を知らない人が始めて飛び込んで、本当に現実のモラルをそのまま持ち越して冷静に行動できるでしょうか。

メールなどにも言えることですが、文字のコミュニケーションというのは、相手の意思が伝わりにくいですし、自分の考えも伝えることが難しいです。その上、相手の顔が見えない分、感情的にものをいう傾向というのも少なからずあるはずです。
そういうことを知った上でネットをやっている人がいる一方で、初めてネットに来た人は、その現実とのギャップに苦しむはずです。会話をしようとしても、感情表現が難しくてストレスになったり、相手に何か不快な思いをさせてしまったためトラブルが起きる、などなど。

そういったことを考慮すると、子供のうちからネットを規制したって根本的な解決になるとは自分は思えません。いい年してまでフィルタリング等で何でもかんでも規制するより、しっかりとノウハウを教える期間にフィルタリング等で子供を保護し、判断できる年齢になったらフィルタリングをはずす。
ちょっと話がそれますが、子供にフィルタリングを強要する親って、余程子供を信用していないか、余程ネットについて疎い人間のどちらかしかないと思うんです。後者はもはや論外ですが。
前者なら、ちゃんとネットに規制を設けずに遣わせても大丈夫なように子供に教えて、それで自由に使わせた方がよっぽどいい、と思うんです。


ネット上の問題はマナーだけではありません。
情報の取捨選択についても同様のことが言えます。
現在、インターネットの登場と、記録メディアの大容量化、ホームページ作成の容易化等の理由で、びっくりする程の情報のインフレが起こっています。それに関連する話ですが、一昔前のインターネットでは「集合知」なんて言葉が流行ったようです。しかし今や、大衆化しすぎたインターネット上で集合知を見つけるのは容易ではないでしょう。
なんていったって、大衆化しているんですから。集合知とはまったく逆の方向です。

そんな中、真に欲しい情報を探すのは困難です。
ただテレビを見ているだけの受動的な情報入手方や、自分の独断と偏見にあったものだけを取捨選択する情報の選び方、どちらもいけないと思うのです。
情報は多方面から見ることができるわけですから、面倒なことですか、情報は、ものによっては複数のソース(情報元)を参照し、自分で判断する必要があります。
とりわけ、政治的な情報や、倫理的なことにかかわる事件や事故の情報については、少ない情報だけで軽はずみな発言をするのは少々危険かもしれません。

「自分の意見」というのは、どこか他人やテレビ、はたまたネット上のどっかの人が書き込んだ意見をそのままあーそうだね、って鵜呑みにするんじゃあなくて、納得する部分と納得できない部分をよく考えて、情報を調べて、初めて納得する部分、やっぱり腑に落ちない部分っていうのを見つけて、自分の意見を形成していくべきだと思うんです。受験生のみとしては、小論文等で欲しいのは、確固たる根拠に基づく「自分の意見」だという風に感じています。
そういう物が求められるということは、逆に言えば社会に欠如している傾向があるのではないか、と自分は思っています。

さて、そんな社会の中で、このネットの世界に入ってくる人が、果たして情報を取捨選択できるでしょうか。自分にはとても難しいことのように思えます。
例を出せばきりがないですが、一方的な情報が社会に伝播して、悪いイメージを持たれた人、企業などはたくさんあります。
そんな中、本当に正しい判断をするには、必ず「自分の意見」を確立するための情報が必要です。
情報リテラシーを身に着けなければ、ネットを含む情報化社会をうまく生き抜くのは難しいと感じるのです。
そういった能力を上げるには、普段から多くの情報を見るしかありません。
小論文に関することでは、教員の方々は皆「新聞を読め」といいます。つまり、そういうことなのでしょう。そういった能力は、ネットに入る前にはある程度身に着けておきたいものです。


そういうわけでだいぶ長くなりましたが、結局何がいいたいかというと、ネットに関するモラルを向上させるには、ネットの世界に入る前に、ある程度下積みが必要なのではないか、という主張です。
単純にそれだけ書けばいい気がするのですが、なんだか気分が乗ったので。つい。